渋沢栄一子爵は知りませんでした(汗)



 飛鳥山3つの博物館
自分が滝野川体育館に通う方法は通勤定期で途中下車、チャリで突撃の二種類で現在はチャリであります(笑)
約15分程で到着しますが、毎回通るのがコチラの前

北区の紹介もラーメンだけではいけませんので『カルチャー』分野も紹介したいと思います。
北区にあるJRの駅は私が良く利用する『東十条・王子』以外に『赤羽』『上中里』『田端』『十条』『板橋』(一部分北区)
『尾久』『北赤羽』『浮間舟渡』お〜〜10駅もあるのですね〜!!! 他に地下鉄南北線・都電の駅が計11駅あります。
前置きが長くなりましたが、今回紹介します『飛鳥山』周辺の地図です

JRと南北線と都電の『王子駅』都電の『飛鳥山駅』に囲まれる形で『飛鳥山公園』はあります
ココは春には桜が綺麗に咲き誇る花見の名所でもあります
(個人的には地図で言う『音無橋』の北側にある『音無親水公園』の方が好きです)

07年の音無親水公園での花見風景ですが生憎の曇天でした
夏場は子供達が水遊び、大人は涼を取りに来ます

今回紹介する『飛鳥山3つの博物館』は飛鳥山公園の南側の旧『渋沢栄一』本邸、曖依村荘跡に晩香廬と青淵文庫が現存し
そこから飛鳥山公園内に連なった形で建っています。
しかし不勉強(無知無教養(汗))の私は渋沢子爵を知らず今回紹介するにあたり注釈をつけるのが恥かしい(汗)
『渋沢 栄一(澁澤 榮一)(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日(1840年3月16日)- 昭和6年(1931年11月11日)は
幕末の幕臣、明治時代初期の大蔵省官僚を経て、実業家として活動した。第一国立銀行や王子製紙・日本郵船・東京証券取引所などといった
多種多様の企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父と呼ばれる。正二位勲一等子爵。雅号は青淵。』
「私利を追わず公益を図る」との考えを、生涯に亘って貫き通した方で、多くの財閥当主が男爵どまりなのに対し子爵を授かっています

スロープをチャリで上がると最初にあるのが『紙の博物館』です
  
中には時間のある時に入りましょう(入館料300円なので(笑)
隣にあるのが『飛鳥山博物館』です

この3つの博物館の向かい側には飛鳥山公園の『児童公園』区域があります
  
遊戯設備以外に古い『都電の車両』があったり『D51』もあります
  

 
昔の子供は大喜びしそうですが最近の子供達にはどうなのでしょうか???でも鉄道マニアには良いかも?

こちら『飛鳥山博物館』では『奥山峰と北区の工芸作家展』(入場料無料)が9/13〜10/13の期間で開催されていました
  
流石に人間国宝の作品です 風格、技術とも高く『いや〜!いい仕事してますね〜〜』と感嘆しきり!
写真撮影が不可なのが残念です。
せめてリーフレットでも紹介しましょうか

まだ若さの残る作風の作家もいましたが全体のレベルが高く無料で観覧出来たのは良かったです
館内は撮影不可なのですが一枚だけ(笑)コレは地層、貝塚でしょうか??
 
入り口のインフォに色々と貼ってありました
渋沢資料館の前には『北村西望(せいぼう)(本名読みは、にしも)』の彫刻がありました
 
※代表作である大作「長崎平和祈念像」は有名ですね。文化勲章、文化功労者顕彰、紺綬褒章受章。

最後にあるのが『渋沢史料館』です。
  
中では企画展『日本人を南米に発展せしむ』と『晩香廬と青淵文庫』の写真展が開催されているようです。
  

この渋沢史料館は毎年渋沢栄一の命日の11月11日に近い日曜日に入館料無料で入館出来ます(今年は11/9)

続いて晩香廬と青淵文庫も見学してきます。
※青淵文庫(せいえんぶんこ)は、渋沢栄一の80歳のお祝いと、男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて竜門社(渋沢栄一記念財団の前身)が寄贈した鉄筋コンクリートの建物です。
1925(大正14)年の竣工で、栄一の書庫として、また接客の場としても使用されました。
渋沢家の家紋「丸に違い柏」に因んで柏の葉をデザインしたステンドグラスやタイルが非常に美しい洋館です。

入り口にはこんなものが・・・
 
で隣には 
中庭は手入れが行き届き綺麗です


ここ青淵文庫は土曜日の12:30〜15:45に限り公開されています
中に写真展のポスターがあります 

外観はこんな感じ
 

隣にある『晩香廬』(ばんこうろ)は、渋沢栄一の喜寿を祝って現在の清水建設(株)が贈った洋風茶室です。
1917(大正6)年の竣工で、丈夫な栗材を用いて丹念に作られ、暖炉・薪入れ・火鉢などの調度品、机・椅子などの家具にも、設計者の細やかな心遣いが見られます。
晩香廬は内外の賓客を迎えるレセプション・ルームとして使用されました。青淵文庫とともに、国の重要文化財に指定されています。
 
中はこんな感じ
 
 
そろそろ滝野川体育館に向かいます